今年もパパとママから赤ちゃんの名づけエピソードを大募集しました。たくさんのなかから、ベビーカレンダー編集部が選んだエピソード大賞1名、グッドエピソード賞10名をご紹介します。画数や漢字の意味からだけでなく、偉人やマンガのキャラクターなどから考えるパパやママも。みんなの世界に1つだけのオリジナリティ溢れる名づけエピソードに注目です。
私と夫の出会いは、東日本大震災の被災地支援の仕事場でした。
県外から来た者同士、はじめは仕事の話や新しい環境でお互い頑張ろうと同志のような気持ちで接するうちに、仲よくなり付き合うことになりました。
仕事は2年目になり、半同棲生活の中で妊娠が発覚し、入籍することに。
コロナ禍で式や披露宴はできず、新婚旅行も行っていませんが、日に日に大きくなるおなかに楽しさがいっぱいでした。おなかの息子も、妊婦健診の度にお股を大きく広げてくれて「男の子だよ!」のアピールがすごかったです。
名前は生まれてから決めればいいやと思っている私に対し、ネットや名づけサイトであれこれ検索する夫。夫があれは?これは?と案を出してきても、どれもしっくりこない私。妊娠後期にはついに夫から「考えてよ!」と言われてしまいました。
しかし実は、私にはずっと前から考えていた名前がありました。
10年前にたくさんの人が命を落とした震災。私の息子は、たくさんの人の人生や考え方が大きく変えられ、影響を受けた被災地で夫と出会い、授かった新しい命でした。
本来なら辞めなければいけない支援の仕事も、周りのご好意もあって産休直前まで働かせてもらい、勤務最終日にはたくさんのお礼をしてもらいました。職場には、震災で悲しく辛い思いをした人がたくさんいるなか、「この場所があなたにとって、出会いとご縁に繋がったならとても嬉しい」とまで言ってもらいました。なので私は、甚大な津波被害を受けた海沿いの街で、大きな意味の持つ「みなと」とつけたかったんです。
漢字は、その街に実際にある地区名から「湊」と、大きな被害を受けても温かく迎えてくれて人を思いやれるその地域の皆さんのようになって欲しいと願いを込めて「仁」を使うことにしました。
震災からちょうど10年目の3月、無事に生まれてくれた湊仁。たくさんの人が周りに集まる、優しい子になりますように。
10年前の東日本大震災の被災地支援で出会ったパパとママ。その二人の間に生まれた湊仁くん。きっとその名前の通り、周りにたくさん人が集まるような子になると思います。温かく迎えてくれた地域の皆さんにも愛されて、すくすくと育ちますように。
私たち夫婦にとって2人目の妊娠。妊娠がわかったころ、上の子(息子)は1歳過ぎで、まだまだ甘えたい盛り、ママのおなかに赤ちゃんがいることもわかっているようで、わかっていないようでした。2人目が宿った喜びはもちろんありましたが、思うように息子の相手をしてあげられないもどかしさや、息子とゆっくり過ごせる時間もあと少しと思うと寂しさもあり、息子の妊娠中にはなかった感情や想いがたくさん溢れてきました。
それでも息子を寝かしつけたあとは夫と2人目の子の名前を考える日々。性別がわかるまで男の子の名前も女の子の名前も考えました。おなかの子が女の子とわかってからも、毎日のように候補を出し合い娘が生まれてくるのを楽しみにしていました。
そして、いつの間にか70以上の名前の候補が…!出しすぎて決めるのが大変になりましたが、「この字はどう? この響きはどう?」と夫婦で考える時間は、今振り返ってもとても楽しく、主人が積極的に名前を考えてくれていたのも嬉しかったです。
そんなたくさんの候補から選んだ名前は杏紗。
紗の字の意味「薄い織物」と杏の花言葉「乙女のはにかみ」から、人を優しく包み込む包容力と恥じらいを忘れない奥ゆかしさを持った人間に育ってもらいたいという願いを込めてつけました。杏は私が大好きな字でもあり、好きな果実でもあり…。2年前に生まれた息子の名前にも入れたいと候補にあがっていた字で、もし2人目が女の子だったら今度こそつけたい!と思っていた字でもありました。
息子には「橙」という字をつけているので、娘にも同じオレンジ色の「杏」という字をつけて兄妹で関連性のある名前に。お兄ちゃんとなった息子は「あずちゃん♪」と言いながら、近寄っては話しかけ、妹の娘は元気に動き回るお兄ちゃんをニコニコしながら目で追い、とっても仲良しです。今では2人が毎日家庭を温かく明るくしてくれています!
70以上の名前の候補から選んだ「杏紗」という名前。パパとママで楽しそうに名前を考える様子が目に浮かんでくるようです。お兄ちゃんとも素敵な共通点があるお名前になりましたね。きっと仲よし兄妹になると思います!
2021年7月5日。不安と期待が混じりながら、我が家の第3子、誠大は誕生しました。名づけも含め中心になってくれたのは、心優しい4歳の次男でした。
安定期を迎え、妊婦健診で訪れた産婦人科。いつもより胎内エコーの時間が長く、仕事の疲れもあって少しぼーっとしているなかで、先生から「来週また来てください」と言われ、いやな予感がしながら翌週に受診すると「心臓に気になるところがあるので、総合病院を受診してください」と言われました。その瞬間、頭は真っ白に。そして助産師さんに抱えられながら、別室で泣き出してしまいました。
2015年に出産した第一子も同じように心臓に異常があると言われながら出産すると、病院の予想以上に予後が悪く、生後22日をNICUで過ごしたあと、亡くなってしまいました。なんとか周りの支えもあり、夫婦で困難を乗り越え2017年に第二子を出産、3回の流産を経て授かって迎えた、今回の出産が不安なものになっていきました。
産休に入って、健診や出産準備を進めても「また同じようにNICUに通うのか…」「ベビーベットを用意しても使わないかも…」と何をしていても悪いことを想像してしまいました。また、私たち夫婦の不安を察してか、4歳の次男も「ママ、病院もう行かないで」と言いだすようになりました。
ベビーの準備をしないまま迎えた臨月。ある時、次男が私のおなかに向かって名前を呼び始めました。「まだ決まってないよ」と私が言うと次男は「じゃあ何にする?」と言い始めました。それから毎日おなかに向かって今日の出来事を話す日々。その中で私も主人も「こんなに楽しみにしているお兄ちゃん、毎日大きくなるベビーがいるのだから、私が楽しみにしないと」と気持ちが変化していきました。
そこからは次男と一緒に新生児の服を洗濯、部屋の家具の移動を家族みんなで楽しみながらしました。気持ちが落ち込みそうなことがあると次男が手伝ってくれました。
名前のこともなかなか決められずにいると、次男が「せいちゃんって呼びたい」と笑顔で伝えてきました。次男からの思いと何事にも誠実に、そして病気に負けず「大」きくなって欲しいと願いを込めて「誠大」と名づけることにしました。
病状が心配されていた誠大も出産後、検査を重ね、日常生活は心配なく過ごせるとのことでNICUから卒業。ママと一緒に退院しました。1日1日一緒に過ごせる幸せをかみしめながら、やんちゃで優しいお兄ちゃんと一緒に賑やかに過ごしていきたいです。
お兄ちゃんが言った『「せいちゃん」って呼びたい!』という言葉は、ママとおなかの赤ちゃんをたくさん励ましてくれたと思います。生まれる前から弟思いのお兄ちゃんがいて、誠大くんも心強いはず。これからは兄弟で元気に楽しく過ごしてください。
ずっと夢だったママになること。高校は被服科を選び、いつかママになったら子どもの服を作ろうと夢みてた。
お嫁さんになって妊娠がわかり、お腹がどんどん大きくなっていきました。ずっと憧れてたことなのになんだか不思議で、「女の子がいい!」って願ってたら、その通りになって嬉しくて嬉しくて。可愛い布買ってスタイを縫ったり、帽子編んだりして我が子が産まれて来るのを待ってた。
産まれたら可愛い名前を付けたくて、妊娠中に2個の候補を考えていたけど、産まれてからなんか違うと思い他の名前を探して、でも産後の体はボロボロで疲れも取れず、なかなかいい名前思い浮かばなくて……。
退院後ふと思った名前が「なな」。「菜花」と書いて「なな」。可愛いくてその字が輝いて見えた。
高校生のとき、名古屋のナナちゃん人形の服をみんなで作って、ナナちゃんの下でファッションショーして、その衣装の展示を出産前日に見に行ったのもなにかの縁だと思った。
ななちゃんには私みたいに好きな事にどんどん挑戦して色々な経験をしてもらいたい。
そして、可愛い花のようにみんなに愛されてみんなを幸せにする人になりますよーに。
子どもの服を作るのが夢だったママのもとに来たのは、かわいいお花のような名前の菜花ちゃん。これからママにたくさんのお洋服を作ってもらって、みんなに愛される女の子になってくださいね。
結婚15年目で授かった大切な白虎です。
嫁は子どもができにくく、卵巣も片方手術で撤去し、白虎が産まれる半年前に待望の赤ちゃんを授かりましたが、妊娠3ヶ月で流産してしまいました。嫁も自分も落ち込み、嫁は毎晩のように涙にくれていました。しかし、子どもができたという望みにかけ、半年後、白虎を無事に授かることができました。しかし、流産の不安は拭えず、妊娠5ヶ月まで誰にも言えず2人の胸にしまっていました。白虎と言う名前は、字画もですが、「無事に産まれ、安産でありますように」という神頼みでもあります。産まれて来る前から男の子なら白虎にすると決めていました。
無事に産まれてきたときは、弱気を助け、強い者には立ち向かえる、立派な男の子になって欲しいと「白虎」と名づけました。
15年待った待望の息子です、皆さんに愛される明るい男の子に成長するよう、両親共に成長していきたいと思っています。
パパからの投稿ありがとうございます! 生まれる前から名前が決まっていたという白虎くん。結婚15年目で授かったまさに奇跡の子ですね。名前のように強く立派な男の子に成長するように願っています。
名前を考え始めたのは、妊娠8ヶ月くらいのころでした。
女の子と分かってから何にしようかと夫と話し合うも、いざ名前をつけるとなると、この子に一生付いて回る名前……そう簡単には決まりません。
予定日が6月ということで、誕生石の真珠にちなんだ名前や、梅雨時期なので水をイメージした名前、初夏の雰囲気を表した名前などを考えました。
私が真珠の「珠」の字をどうしても使いたくて、それに合わせた名前が候補としてたくさんあがりました。でも、どれもピンとくるものがない。
「いくつか呼んでみて、反応した名前にしてみる!?」とおなかに声をかけてみるも、いつもは痛いくらい動き回るのに何故か無反応。
(唯一反応したのが、このときじゃがいもばかり食べていたので、「この子芋、好きなのかな?」と呼びかけた「ポテト」でした(笑)。さすがに名前には出来ませんでした…)
そうこうしながらメモをとり、「これがいいかなぁ?」と決めた名前。実はこのときは別の名前が候補になっており、芙珠はアフトオブ眼中でした(笑)。
ところが、予定日が近付いてきたある日、ふと夫が「珠って『み』とも読めるんだねぇ。だったら芙珠で『ふみ』も可愛いなぁ」とポツリ。
私もそれを聞いて、「呼びやすいし、ふーちゃんってあだ名づけたら可愛い! ふーちゃんって呼びたい!」と、今までしっくり来なかったものがカチッとハマったような気がしました。
しかし、生まれて顔を見てイメージ違ったら困るから、生まれてから決めようかと芙珠ともう1つの候補をあげて、さぁ出産!
「美人顔ならもう1つの候補、可愛い顔なら芙珠にする!」と夫は言ってましたが、今にして思えばどっちでも芙珠だったような気がします(笑)。
コロナで立ち会いどころか病院にすら入れなかった夫の為に、看護師さんに撮ってもらった写真と動画をすぐさま送り、反応を待っていると、「かわいい!!!」と返信が。
芙珠に決定した瞬間でした。
覚えやすく呼びやすい、おばあちゃんになっても愛らしい、とても素敵な名前をプレゼントしてあげられたかな?
あげれていたらいいなと思います。
おなかの中で反応した名前が「ポテト」!(笑)。パパの希望とママの直感がぴったりとあった瞬間のエピソードがとっても素敵。おばあちゃんになっても愛らしい名前を選んだというのも素敵です。
パパとママからはじめてのプレゼント!
私たちは母の希望でハワイで家族挙式をおこない、幸せで素敵な思い出となったため「ハワイの言葉を入れたいね」と話していましたが、悩んでも悩んでも決めきれず、もう顔を見てからにしようということになりました。
その日は突然やってきて38週目に出産しました。陣痛は想像以上に痛く、出産も大変でしたが、初めてみる我が子の顔はとても可愛く、痛みなんて一瞬で忘れることができるほどの幸せを感じました。
しかし、息子は産声をあげず、先生が「おめでとうございます」と私たちに言ったあと、「ホットラインに電話して!」と看護師さんに指示していました。すぐに酸素投与が行われ、先生からは「呼吸障害がみられるのでNICUのある病院にドクターカーで救急転送します」と告げられました。私は不安な気持ちでいっぱいで、主人の手を握りしめながら処置の様子を見ていることしかできませんでした。母子別々となってしまったため、毎日送迎してもらい面会に通いました。ですが、コロナの影響で面会できるのはパパかママのどちらかのみ、数時間だけでした。入院中は他のママが赤ちゃんと一緒にいる姿を見ることがつらく、搾乳した母乳を届けることしかできず、ひとりで何度も泣いてしまいました。そんな私に、「大丈夫!母乳の一滴もちゃんと栄養になってるから、ママの思いは赤ちゃんにも伝わっているから」とずっと励ましてくれた看護師さんや主人には感謝してもしきれません。面会時にはいつも「早く元気になって一緒に帰ろうね」と話しかけていました。
そんなこともあり、ハワイで魂や生命の力、奇跡という意味のある「Mana」という言葉を選び、「真悠」という漢字を使って名づけました。
元気よく人を惹きつける魅力を持った子になってほしい、素直にまっすぐ、自分のペースで人生を歩んでいってほしい、と願いを込めて。
その後、息子はすっかり元気になり、出産予定日だった日に退院することができました。生後4カ月経った今もまだ少し小さめですが、抱っこできる喜び、目が合うたびに微笑む息子の姿に幸せを噛み締めています。人騒がせな息子ですが、今後の成長が楽しみで仕方ないです!これからもよろしくね。
赤ちゃんが生まれてすぐ、NICUのある病院に運ばれたときにはどれだけ不安だったことでしょう。パパとママがつけてくれた"生命の力"という意味のある名前のおかげかすっかり元気になった真悠くん。これからもっともっと、わんぱくな男の子に成長していってくださいね。
男の子でも女の子でもいいようにと考えたのがこの名前でした。
実は私たち夫婦、名前を考えるにあたり、名づけ本は一切読まず、マンガや小説をよみ漁って考えたんです(笑)。元々マンガや小説が大好きな夫婦なので、いろんな本から候補を見つけては、「これはどう?」「なんかうちの子に合わない気がするからイヤだ」なんてやりとりをしながらも、「一番最初の贈り物だから」と必死に考えていました。
そんななか、私の好きな漫画のキャラクターの『みことちゃん』が、音が可愛いくて一目惚れ。
何個も何個も漢字の組み合わせを考えて、旦那にプレゼンテーションをし、出生届の提出ギリギリまで悩みに悩んでようやくこの名前が決まりました。
漢字には、おおらかで物事を広くみれる、趣き深い子に育って欲しいという意味を込めました。実は漢字にも、私たち夫婦が昔軽音楽をやっていた関連で、弦楽器の『琴』が入っているなんて裏話もあります(笑)。
このように私たち夫婦の願望や好み、歴史が詰まった名前ではありますが、名前を呼ぶと満面の笑みを見せてくれる我が子を見て、悩みに悩んで贈ってよかったと思います。
マンガや小説が大好きなパパとママが、たくさんの名作のなかから選んで決めたのが弥琴くん。音から漢字まで、二人の願いがたっぷりと詰まった名前になりました! 呼ぶたびに「この名前にしてよかった!」と思える名前になったと思います。
結婚式を数ヶ月後に控え、妊娠が発覚しました。「妊娠中の結婚式って、どんな感じなんだろう?」と不安もありつつも楽しみにしていると、結婚式直前でまさかの流産。現実を受け入れられず、頭が真っ白のなか結婚式もあるからと早々に手術を受けました。麻酔から目覚めたときの「もう、赤ちゃんはいないんだ」という虚無感は一生忘れられないと思います。
結婚式当日、膨らむ予定だったお腹に合わせたドレスはブカブカで、参列者に「ドレス少し大きいね?」と言われるたび、「結婚式の準備が大変で痩せちゃった!」と作り笑いで返すのが精一杯でした。生後6ヶ月の甥っ子も参列してくれたのですが、赤ちゃんを見ると胸が締め付けられて…。一生に一度の結婚式、心から楽しみたいという気持ちとは裏腹に、笑顔を貼り付けることしか出来ませんでした。
その後、流産から1年近く経っても立ち直ることが出来ず、妊活に前向きになれなかった私は、主人に「別の女性とだったら子供が出来るかも。私は身を引こうと思う」と伝えました。主人からの返事は「それならそうで、2人で楽しく生きていこうよ」でした。
それから数ヶ月後、めずしく主人からドライブに誘われ、いろいろ話をするなかで「2人の子どもが欲しい。君がよければ、もう1回頑張ってみない?」と。そのとき即答は出来ませんでしたが、数週間考えて「もう1回頑張ろう」と伝えました。
その後ありがたいことに妊娠することができ、不思議と「この子は必ず産まれて来てくれる!」と確信がありました。
安定期を迎え〝名前どうする?〟となったとき「つけたい名前がある」と主人に伝えました。実は結婚する前から、子どもが出来たら「ゆうま」と名づけたいと思っていました。
すると主人が「僕の名前の候補にも、ゆうまがあった!」と。最初は主人が考えた子供の名前かと思いましたが、話を聞くと、主人が両親に名づけをしてもらうとき「ゆうま」も候補にあったとのことでした。
自ら断ち切ろうとしていた主人との縁、主人の両親との縁を強く感じ、改めてゆうまにしようと固く決心しました。漢字は、意味や画数を考えて何ヶ月も悩んだ末に主人が「佑磨」と決めてくれました。人を助け、人間性を磨いて欲しいという願いを込めて。パパと一緒にずっと佑磨くんを見守っていくからね。生まれてきてくれて、ありがとう。
結婚式の直前にまさかの流産…。その後、なかなか妊活に前向きになれなかったママを優しく見守り続けたパパ。そんな二人それぞれが考えていた名前の候補にあったのが佑磨くん。名前の通り自分を磨き上げてキラキラと輝く人生を送ってくれると思います。
「空は暗かった けれども地球は青かった」 人類が初めて有人宇宙飛行を成功させてから60年、その記念の年が2021年である。
宇宙関係の仕事をしている夫とは、アウトドアの趣味を通して出会った。何をするにも気が合うと感じていて、付き合ってからプロポーズまでたった数ヶ月。でも、周りからは長い付き合いなのかと思われるくらい落ち着いて過ごしていると言われる事もあった。2人の時間を大切にしつつ、数年後にはそろそろ子どもが欲しいねという話になった。
私は教師として働いていて、年々と任される仕事の責任が重くなっていった。赤ちゃんが欲しいという思いとは反対に、仕事が辛くなっていく。そんな中、新型コロナウイルスの影響が職場にも大きく出た。ついに身体も限界で、ついに生理が止まってしまった。
赤ちゃんができない身体になってしまったと、世界が真っ暗になった気分だった。でも、夫や同僚、そして生徒達が心配してくれたお陰で立ち直り、頑張って不妊治療に取り組んだ。その甲斐あって、無事に赤ちゃんを迎える事ができた。
暗くなった世界から、光を見つける事ができた。困難を乗り越えて、初めて有人宇宙飛行を成功させた宇宙飛行士のユーリ・ガガーリンから名前を貰って、「有俐」(ゆうり)と名づけた。
ちなみに、夫の仕事は宇宙ステーション補給機の通称「こうのとり」に関するもの。こうのとりを宇宙に届けていた夫の元へ、こうのとりが来てくれたのかもしれない。
宇宙ステーション補給機「こうのとり」の仕事をするパパと教師として働きながら不妊治療を頑張るママの元に生まれてきた有俐くん。これはもう、こうのとりが運んでくれたに間違いありません! 名前の由来のユーリ・ガガーリンのように偉業を達成してくれそうですね。
名づけに関して主人と何度も相談したものの、なかなか決まらず、顔を見てから決めようかと出産日を迎えました。
陣痛を乗り越えてやっと対面できた娘は、消えてしまいそうなほど、軽くか細い身体で一生懸命泣いていて、とても心を打たれました。
コロナ禍で大変な世の中に生まれた娘、厳しい状況の中でも生き抜いていく強さを持った子になってほしいと思い「凜」という名前を候補に上げました。
もう一つの候補の名前と決めかねているとき、ふと誕生花を調べるとリンドウであることがわかりました。
響きだけでも「おっ!」と思ったのですが、リンドウの花言葉は「悲しんでいるあなたを愛する」「正義」だということを知り、「まさにこれだ!」と思いました。
芯があり、周りの人や家族が辛いときでも、暗闇に差し込む光のような存在であってほしいと願いを込めて、ついに決定しました。
あとから知ったのですが、「稟」という字には、"天からの授かり物"という意味もあるそうで、散々悩みましたが、結果的にとてもいい名前をプレゼントできたかなと思っています。
日本原産の野山に咲くリンドウが誕生花の凜ちゃん。可愛いだけでなく、暗闇に差し込む光のような存在になってほしいママ願いもきっと伝わるはず。元気いっぱいに成長して、強く素敵な女性になってくださいね。