ベビーカレンダーで毎年恒例の人気企画「赤ちゃんの名づけエピソードキャンペーン」。今年はコロナ禍で、妊娠中や出産時に不安な思いをしたママ・パパも多かったと思います。そんななか、心温まる素敵な名づけエピソードが1,000件以上集まりました。編集部が選んだエピソード大賞1名、グッドエピソード賞10名をご紹介します。
2019年8月、幸せの便りは二つ同時にやってきた。
一つは会社から、成果を出し続けることで勝ち取った昇格試験の合格通知。もう一つは妻から、夫婦二人がずっと待ち望んでいた妊娠の報告。
大学時代から付き合っていた僕たちは、子どもを早く持ちたいという価値観が共通し、入社後すぐに入籍した。
それから9年間、振り返れば楽しくかけがえのない時間であったと同時に、「子どもを持ちたい」そう強く願う二人にとっては悩ましく、つらい9年間でもあった。
治療を含め妊活するも、妊娠できない原因もわからぬまま、闇雲に時間だけが過ぎていった。
半ば子どものことは諦めかけ治療もストップし、お互い好きなことをして生きようと決め、僕は昼夜を問わず仕事に邁進した。営業職のため、やればやるだけ成果も上がり、マネージャーに昇格。会社からは厳しいフィードバックも多くなったが、期待のあらわれだと思って、歯を食いしばって働いた。
昇格から数日後、まさかもうそんなことは起きないと思っていたのに、妻からの驚きの妊娠報告を受け、嬉しくて嬉しくて二人でたくさん泣いた。そして将来生まれてくる子どものためを想い、さらに仕事に邁進した。
2019年12月のある日、いつものように朝目を覚ますと、なぜか体が重い、動かない。いや、動けない。体調が悪いのだと思い1日休むも、次の日また動けない。仕事に行かなくてはという気持ちとは裏腹に、ドアの前に立つと目眩がする。
何日か経っても、症状は変わらない。妻が付き添ってくれ、1週間後に何とか病院へ行った。結果は考えもしない「うつ病」だった。天国から地獄に落ちた気分だった。会社を休職したが、妻のおなかの中の子を想うほど自分が情けなく感じ、症状は重くなり、なかなか暗いトンネルから抜けられなかった。
月日は流れ、緊急事態宣言の中、彼女は生まれた。立ち会い出産ができない病院が多い中、立ち会いできる病院とご縁があり、10年待った我が子の誕生を迎え入れることができた。
「こんな父親で大丈夫なのか?」正直、それが彼女と会う前までずっと考えていたことだ。でも彼女はそんな不安を無視し、大きな声で泣いた。初めてのパパの抱っこ。安心したのか泣き止んだ彼女を見た助産師さんは「パパ大好きなんですね」と言った。
「こんな父親は必要とされないのでは?」そう不安で仕方なかった心が、和らぎ、涙が止まらなかった。ママは「赤ちゃんより泣いてるね」と笑っていた。
5月1日は、愛する人の幸せを願いすずらんを贈る「すずらんの日」。僕たち二人に幸せを贈ってくれた愛する彼女に、生涯ずっと幸せであるように願いを込めて、“蘭”と名づけた。
パパからの投稿が大賞に選ばれるのは、ベビーカレンダー史上初!
仕事でも成果を挙げ、9年間の妊活の末の妊娠と幸せの絶頂だった1人の男性が、ある日突然「うつ病」と診断され、その後、初めてのわが子の出産を迎えたという、多くの方に勇気を与えるエピソードに、編集部からも感動の声が上がりました。
「子どもの存在が親を強くする」
そのことを教えてくれるような蘭パパさんのエピソードがダントツの票数で大賞に選ばれました。
娘はイタリアと日本のハーフなので、両国で共通の名前にしようといくつか候補を挙げていました。その中の一つが「えま」です。
イタリアでEMMAは、「勇敢な・勤勉な」という意味で、たくましく芯の強い子に育ってほしいという願いで選んでいました。
娘は妊娠中期の25週に444gで生まれ、しばらくNICU・GCUに入院していました。毎日保育器の中にいる娘を見ながら、どの名前がいいかずっと迷っていました。一生を決めることなのでそう簡単には決められません。
するとイタリア人の夫が「赤ちゃんに候補の名前を呼んでみよう! 赤ちゃんが気に入ったら反応するよ」と言い出しました。正直、何を言っているんだろうと思いましたが、呼んでみました。
「えま、えまちゃーん! えまがいいですか?」
すると娘は手足をバタバタさせました。
次の候補の名前を呼ぶと、バタバタと動きましたがそれほどでもない。
そして、もうひとつの候補の名前を呼ぶと全く反応せず…。
本当に自分で選んだのかと半信半疑でしたが、
「えまー! あなたはえまちゃん?」ともう一度呼んでみると、目がパチリと開きました。その瞬間、「この子は『えま』だ!」と確信しました。
えまの漢字はママの一文字から「絵」を、強くしなやか、たくましく芯のあるという意味の「麻」で絵麻になりました。
絵麻は現在、生後7カ月になり、元気いっぱいです。
名前を決めた瞬間は今でも忘れられず、絵麻が大きくなったらこの話をしようと思います。
444gで生まれた赤ちゃんが自分で名前を決めたというエピソードが、なんとも感動的。かわいらしい響きと強くしなやかな漢字のイメージが、ママの願いとぴったりです。日本でもイタリアでもたくさんの人に愛され、名前を呼んでもらえる子になりそうですね。
大きな山に登るように一歩一歩自分の人生を歩んで行ってほしい。そして、最後には頂上から見る景色を楽しめるような人生にしてほしい。
そんな想いで名づけたのが、「岳」という名前です。
私たち夫婦にとって、この子を授かったのは奇跡でした。
結婚してからすぐ子どもが欲しいと思ったものの、なかなかできず、流産も経験しました。塞ぎ込んでいる中、気持ちを新たにするために兼ねてから夫婦で達成したいねと話していた富士山登山に挑戦することに。
準備期間は3カ月。毎日2万歩以上を歩き続け、準備をしてきました。
天候や日程の問題もあり、体調を万全にしておかなきゃいけないという懸念があったものの、不妊治療の移植日の3日前に思い切って決行。
息が上がりながら、何度も休憩しながら、一歩一歩進んで、7月でも雪のちらつく山頂についに到着。
正直、とてもつらかった。けれども、登頂できたのは、子どもを授かるということを含め、人生のいろいろなことを簡単に諦めたくないという強い想いと、徐々に遠くなる上から見た街並みの綺麗な景色による励ましのおかげでした。
目標に達した、達成感の余韻に包まれ、根拠のない自信溢れる状態で、登山3日後の移植。4月に無事、元気な男の子が生まれました。
授かれたのも、富士山登山があったからだと確信しています。
息子が大きくなったら家族みんなで富士登山することを夢見ています。
不妊治療で落ち込んでいるときに挑戦した富士登山。umiさんの「簡単には諦めたくない!」という気持ちが成就したのだと思います。元気に生まれてきた岳くんと、いつか3人で富士登山する夢を叶えてくださいね。
不妊治療の末、ようやく授かった第一子がダウン症でした。まさかという気持ちと一体これからどうなるんだろうという不安の中、産後3カ月で授かったのがこの子でした。
いくつか名前の候補はあったのですが、生まれてから改めて見直してみると、いまいち夫も私もピンと来ません。生後3日、「これも悪くはないんだけど…」と思いながらも、なかなか決めきれずにいました。もう一度候補以外の名前も考えてみようと名づけの本を眺めていて、「おっ、この名前も素敵かも」と出合った名前が「彩七」でした。
試しに、家族の名前を並べて書いてみると、この名前が入ることで家族みんながすごく輝いて見えました。本当に不思議なのですが、すごくキラキラと家族全員が輝き出したように感じたのです。絶望の中にいた私たち夫婦にとってぴったりの名前でした。
これから兄がダウン症ということで、つらい思いをすることがあると思います。もちろん私たち夫婦も、上の子自身もつらい思いをすることがあるでしょう。しかし、この子が家族の中心となり、真っ暗だった我が家に彩りを添えてくれるような気がします。
そして、七転八起、迷い悩み立ち止まることがあっても、自分の色を失うことなく、自分の人生を謳歌してほしいという願いを込めました。
ダウン症のお兄ちゃんのもとに妹として生まれてきた彩七ちゃん。雨の中でもキラキラと輝く虹のように、たくさんの光で家族みんなを明るくしてくれそうですね。
2016年に私たち夫婦は結婚しました。子どもをすぐ産み育て…と家族計画を立てていたのですが、なかなか授からず、不妊治療を開始しました。
結婚前から私たちは沖縄に旅行することが恒例で、いつもプライベートビーチがあるオーシャンビューのホテルに宿泊していました。お部屋から見える海は穏やかで青い海と空がさーっと広がっています。ベランダからその景色をゆっくりと眺め、夫といろいろな話をしながらお酒を飲むのがとても楽しみなのです。そして見ていると小さな事などどうでもよくなります。
旅行後、3回目の体外受精。
これでだめならあきらめて、2人で生きていこうと思っていました。ところが、なんと妊娠! この奇跡に嬉しさで胸がいっぱいになりました。大切に大切に育てようと誓いました。妊娠中はひどいつわり、切迫流産、しまいには切迫早産で2カ月半の入院。それでも、必死におなかの子を守り抜いてきました。
私たちの大好きな沖縄の海のように穏やかで美しく、そして周りの人を幸せな気持ちにさせられますようにと「瀬凪」と名づけました。ちょうどいつもの沖縄旅行の時期が出産予定でした。この漢字を見ていると、あの海が思い浮かびます。宝物が増えた我が家。一緒に旅行するのが楽しみです。
夫婦2人の思い出である沖縄の海が名づけのエピソードなんて、とてもロマンチック! 3回の体外受精という試練を乗り越えて出会えた宝物である瀬凪ちゃんと、いつかその海を見に行ってくださいね。
私と夫は20歳年が離れています。
夫は50歳を越えていて、彼と結婚・子どもをつくることに私自身迷いもありましたが、
「人生に後悔はないけどあるとすればたったひとつ、子どもを育ててみたかった」とある日ポツリと夫が言いました。私はその言葉を聞いて、彼と結婚して子どもが欲しいと思いました。
私には発達障害があり、日常での困り事が多く、夫はそれをすごくサポートしてくれています。妊娠する前はおろか、結婚する前からアレコレと名前を楽しそうに考えてくれていました。
私の名前に「海」がつくので、
「海と河は繋がっている。俺がいなくなっても体と心でお母さんを守れる大きな男になってほしい。だから、大河はどう?」と言われました。
20歳年が離れている私たちに、一緒に過ごす老後というのはないかもしれません。命の順番として、夫は私ひとりを残していくことをすごく心配しているんだなぁと思い、とても感動しました。
画数もすごくよかったので、生まれる前よりもっと前、妊娠前に子どもの名前は決まっていました。
夫に似て、3,500gの大きい男の子が生まれました。
トラ柄のグッズを集めたり、トラのイラストのお洋服を着せたりして可愛がっています。
20歳年の離れたパパとママの間に生まれた大河くん。ママのことを心配するパパの愛情を受け継いで、ママを守るために生まれてきたのかもしれないですね。写真のトラ柄ウエアも似合っていてかわいい!
長女を産んでからなかなか二人目に恵まれず、不妊治療に励む毎日。毎週注射をし、人工授精も何度もしました。それでも妊娠できずに塞ぎ込み泣いていました。これで妊娠できなければ体外受精へステップアップと言われ、金銭的に諦めかけていたそのタイミングで、授かった命でした。
喜んだのも束の間。長女のときにはなかった地獄の悪阻が待っていました。食べることはおろか、水すら飲めず、胃に何も入っていないのに少し起き上がるだけでも、吐いて吐いて吐いて…。1週間で7kg体重が減り、ケトンが高数値で出てしまい重症妊娠悪阻と診断されました。長女がいて入院はできなかったので、毎朝病院に行き、夕方まで点滴に繋がれるという暮らしを臨月近くまで何カ月も頑張りました。そんな中、おなかの赤ちゃんの育ちが悪くずっと小さいままだったので検査をすると、原因は私の甲状腺の病気によるものでした。
申し訳なくて落ち込んでいた臨月のころ、突然夫から「離婚してくれ。子どもはいらない。興味がない」と一方的に言われ、行き先も言わず出ていかれたのです。信じられないしショックとドン底の気持ちで、毎日一日中泣いて苦しみました。
消えてしまいたいとさえ思いました。そんな精神的に崩れている私のおなかで、小さいながらも頑張って育ってくれている赤ちゃんがいるんだと、赤ちゃんを待ってくれている長女がいるんだと奮い立たせ、なんとかひとりで出産することができました。
費用を抑えるため、休日を避けて計画分娩をしたので、バルーンと促進剤で痛みは強かったのですが「強いわが子と一緒に頑張るんだ!」という気持ちがあったから、乗り越えられたと思います。
2,510gという小ささでしたが、元気な女の子。おなかの中で強く生きていたこの子。これから先も、どんな逆境にも負けない強い人でいてほしいと願いを込めて、寒い冬の雪の中でも暑い夏でも、一年中元気に生きる花の“椿”と名づけました。
夫から突然の離婚宣言。そして、家を出て行かれるという波乱万丈のなか、生まれてきた椿ちゃん。お姉ちゃんと2人でママを幸せにするために生まれてきてくれたのかもしれません。
寒い冬でも咲き誇る、日本でも古くから愛された花の名前を授かった椿ちゃんが、これからもママと一緒にいろいろなことを乗り越えられることを願っています。
妊娠がわかり、当然のようにスクスク育ってくれると過信してバリバリ仕事をしていた矢先の妊娠8週、ちょうど大晦日に出血し、切迫早産となりました。無理をしすぎたからだと、おなかの赤ちゃんに申し訳なさと不安を抱え、なんとか安定期に突入。しかし、世の中はコロナでさらに不安が増しました。2人目の妊娠でしたが、健診のたびにちゃんと元気でいるのかドキドキしたのを覚えています。
予定日より2週間早く、7月に生まれ、桃のおいしい季節。ママは果物の中でも桃が大好き。
桃は桃太郎に代表されるように、昔から不老長寿を与え、邪気を払う力があるとされることから、このコロナ禍で妊娠・出産まで無事至ることができたので、この先もその生命力をもって真っ直ぐ、元気に健やかに成長してほしいと願ってつけた名前です。
ちなみに何にも染まらず透明感のある人に育ってほしいと、「透真」の候補もありましたが、3歳でお姉ちゃんになる娘に聞いたところ、「もも!桃の桃真くんがいい!」とのことで最終決定となりました。
今では、「オニさんがきても、桃真くんが桃太郎になって退治してくれるから大丈夫やな!」とお姉ちゃん。
2人ともたくましく、健やかに育ってほしいと思います。
「オニさんがきても、桃真くんが桃太郎になって退治してくれるから大丈夫やな!」というお姉ちゃんの言葉がなんとも素直でかわいい! きっと大きくなったらお姉ちゃんはもちろん、たくさんの人を守ってくれる男の子になってくれるはずです。
待望の第三子を妊娠し、喜んでいたのも束の間。長い悪阻が落ち着き安定期に入るころには、新型コロナウイルスにより世界は一変していました。
上のお兄ちゃんたちと行くはずだったオリンピックも中止になり、外出すらもままならない日々。毎日流れるニュースに気持ちが沈み、不安な日々を過ごしていました。そして追い討ちをかけるように、産院の付き添いも立ち会い出産も禁止に。自分にとって最後と決めた出産だったので、とてもとても落ち込みました・・・。
そんなとき産院で面談があり、私は不安な気持ちを助産師さんに相談しました。たくさん励ましの言葉をもらい、「生きて再来週会おうね!」と笑顔で背中を押されたとき、その言葉の重みに涙が溢れそうになりました。常に危険と隣り合わせの医療の現場。そこで私たちのために命をかけて働いている方々のことを思うと、ただただこのおなかの赤ちゃんが無事に生まれてくれればいいのだと、前向きになれました。
2019年、妊娠初期。
もし赤ちゃんが女の子だったら、名前は「希(まれ)」が素敵だなぁと考えていました。
お兄ちゃんたちの名前も漢字一文字だったので合わせたかったのと、来年はオリンピックイヤーで日本中が希望で満ちる年だと思ったから。そんな希望いっぱいの明るい人生であってほしい、という願いでした。
その後、性別は女の子だと判明。
改めて名前を考えたとき、自分の心情に大きな変化がありました。残念ながらオリンピックイヤーではなくなってしまったけれど、新型コロナウイルスによって、当たり前の日常がどれほど幸せで尊いものかを心から実感しました。希という名前に込めた願いも、最初とは違うものになりました。
「どんなに困難で大変なときも、小さな希望は近くにたくさんあって、あなたは幸せに溢れているよ。それに気付くことのできる強さと美しい心を持った女性になってね」
そして無事に、元気な長女に会うことができました。
兄妹の中で一番泣き声が大きく低くたくましくて、思わず笑ってしまうほどでした。
これから世の中はどのように変わっていくのか、この子はどんな新しい世界を生きていくのか、不安は絶えません。それでも、妊娠中に励ましてくれた助産師さんのように、前向きに向き合い強く生きていかねばと思っています。今日この瞬間も命を守る医療現場の皆さんへ、感謝の気持ちを忘れることなく、日々誕生する子どもたちが幸せに育ってほしいと願ってやみません。
新型コロナウイルスの影響により、今年は立ち会い出産ができなかったという家族も多かったと思います。そんななか、助産師さんに励まされ、前向きな気持ちになり、「どんなに困難で大変なときも、小さな希望は近くにたくさんある」という想いがつまった名づけのエピソードに胸を打たれました。
我が子は少し珍しく、私たちの名前からではなく、自分たちの両親から一文字ずつもらい名づけました。
私も夫も自分の親や家族とは友達のように仲がいい環境で育ち、とても大切に育ててもらいました。そのため、「そんな大事なお互いの両親や家族を大切にしていきたいね」と結婚当初からよく話していたのです。
「いつか子どもができたらお互いの両親から一文字もらうのとかどう?!」「いいねー!!」なんてふたりで言ったりして。
そして待望の我が子がおなかにきてくれて早々に、「光」の字は夫のお父さまの名前の1文字から頂き、「理」の字は私の母の名前の1文字からもらい、女の子でも男の子でもいいように、おなかの子を光理(みこと)と名づけました。
性別が判明した妊娠5カ月のとき、名前は決まっていたので、末期の癌だった私の父にも息子の名前を伝えることができました。ですが、私が妊娠6カ月のときに父は亡くなり、息子を抱いてもらうことは叶いませんでした。
後日、父のノートから「光理」とだけ手書きで書かれたメモ用紙が見つかりました。せめて旅立つ前に孫の名前を伝えられて、本当に良かったと涙が溢れました。この紙は今では宝物です。
「『家族って素敵!』そうこの子にも思ってもらえるように、私たち夫婦は息子にたくさんあふれんばかりの愛情をプレゼントしていこうね」と話しています。そしてこの子もいつか家庭をもち、家庭やまわりを大切に思える子であると共に、その想いが代々続きますように、と願いを込めて。
自分たちからではなく、自分たちの親から1文字もらって赤ちゃんの名前を決めたりとるさん。家族との絆や愛をこれ以上ない形で表せたのではないでしょうか。きっとそんなご両親のもとに生まれた光理くんも、家族や周りの人を大切にできる子になりそうですね。
私たち夫婦はなかなか子どもができませんでした。不妊治療をしたり休んだり、ときには不安になりながら、子どもが来るのを待っていました。
ある日、私のことを幼いころから可愛がってくれていた祖父が急死。
悲しみをこらえつつお通夜と葬儀のお手伝いで走り回っていると、祖父の家の中でムカデに足をかまれ病院に搬送されました。
「泣きっ面に蜂ならぬ、ムカデだなぁ」と、その病院で問診票を書いていると、生理が来ていないことに気づきました。ムカデ対策の注射を打つのをやめ、念のため妊娠検査薬を使ったところ、なんと妊娠していたことがわかったのです。
あのムカデは祖父だったのではないか。
皆からそう言われました。
祖父は用心深く、また寂しがりやでした。
「お前、妊娠してるぞ!気をつけろよ!」と気づかせるために噛みに来た気もするし、お通夜と葬儀が終わっても帰らないでくれという意味で噛みに来た気もしました。
妊娠までに時間がかかってしまったため、特に可愛がってくれていた私の子どもを心待ちにしていた祖父に、ひ孫の顔を見せることができなかったのは今でも心残りです。しかし、祖父が亡くなった瞬間には、私は妊娠していたことになるので、滑り込みセーフだったのかなと今では思っています。
妊娠していることを教えてくれた祖父にあやかって、祖父の名前「俊治」から一文字頂き、また私の夫の名前とも共通点が欲しくて「りょう」とも読む漢字を選び、「良治」(よしはる)にしました。後から気づきましたが、「俊治」と「良治」だと漢字でも平仮名でもローマ字でもたった一文字違いなのですよね。
子どもに良治と名づけてから知らされたのですが、実は祖父は、私たち孫世代に自分の名前から字を使ってほしいと思っていたようです。結局孫世代には使われず、ひそかにしょんぼりしていたらしいです。
でもひ孫の名前に一文字使われたことで、今頃喜んでいるのではないでしょうか。
おじいちゃん、これからもどうか見守っていてください!!!
ムカデとなって現れて、妊娠を教えてくれたおじいちゃん。しかも自分の名前から1文字継いでくれていると知って、天国でさぞかし喜んでいるのではないでしょうか。これからもずっと良治くんを見守ってくれると思います。