新年号になった今年。令和初となった赤ちゃんの名づけエピソードを大募集しました。応募総数約1700件の中から、ベビーカレンダー編集部が選んだ11個のエピソードをご紹介します。奇跡のような出来事や子どもがいる幸せを感じるエピソードがいっぱいです。
結婚してすぐに子供が欲しいと思い妊活をスタートしましたが、なかなか授からず、病院へ行き始めてすぐに自然妊娠!妊娠さえすれば、あとは時がきたら必ず出産できると信じて疑いませんでした。
ところが妊娠8wの健診の際、いつもはたくさんお話してくれる先生がしばらく沈黙。その時点で何か赤ちゃんに異変があったのだと気づきました。先生が表情を曇らせながら、「赤ちゃん、心臓が止まっちゃってるね」と一言。一瞬、頭が真っ白になりました。一緒に健診に付き添っていた主人も動揺して、動けなくなってしまいました。
それから12wを迎えたころ、激しい腹痛とともに赤ちゃんは私のおなかから自然に排出されてしまいました。
悲しみが癒えたとき、妊活を再開しましたが、何度か人工授精を行うも、結果はかすりもしませんでした。
注射や薬による副作用と結果が伴わないことに、身体と心がボロボロになっていくのが自分自身でよく分かりました。主治医と相談して、「一度お休みを入れてから2カ月後に顕微受精をしましょう」と言われ、治療をお休みしていたところ、まさかの妊娠!そして無事に出産に至りました。娘が生まれたのは7月6日。偶然にもその一年前は8wで流産してしまった赤ちゃんの出産予定日でした。
初めて赤ちゃんを見たとき、小さくてかわいい織姫様が一年経って私たちのもとに舞い降りてきたかのようでした。我が子を優しく抱きしめると心が何ともいえない幸せに満たされ、何度も「生まれてきてくれて、ありがとう」という言葉が自然と出てきました。
涙が溢れて止まらず、今までの人生でここまで感動したのは初めてでした。
赤ちゃんの名前は生まれてから決めようなんて、のんびりしていた私たちでしたが、すぐに「舞織(まお)」に決まりました。理由は七夕が近かったこと、なくなった赤ちゃんの出産予定日のちょうど一年後に生まれてきてくれたこと、そして、私たちがイメージする織姫様のような女の子だったからです。いまではみんなに「まぁちゃん」と呼ばれ、愛されています。
パパが最初に娘へプレゼントしたのが名前でした。
私たちは不妊治療のおかげで娘と会うことができました!
初めは「お前が子どもを欲しいなら俺は協力する…」「お袋が孫を見たいなら…」と正直、私には寂しすぎる旦那の答えでした。
治療中も何度か喧嘩も。
だからこそ、私は旦那に名前をつけて欲しかったのです。断られるのを覚悟でお願いしたところ、すんなりOKしてくれました。
私の名前は恵子(ケイコ)です。旦那の携帯には、いくつもの名前の候補が保存されていて、全ての名前に私の「恵」が付けられていました。
少しずつ旦那が子どもに対しての気持ちが出てきたかと思うと嬉しくなり、今でもその時のことを思い出すと1人でニヤリとしてしまいます。名前の発表は子どもが生まれてからと言われていたので、私にとって出産は、旦那が考えてくれた名前を聞ける、そして娘に会えるという2倍の楽しみがありました。
「私のような人になってほしい。だから、漢字を絶対入れたかった。そして植物の麻の様に芯の強い、周囲を包み込む柔軟性に優れた子になってほしい」
そんな気持ちが込められています。
この旦那の気持ちがすごく嬉しかったです。
今では、娘を一番愛してるパパです。不妊治療の力を借りなければ命を授かる事ができない私たちですが、旦那から「恵麻に姉弟を作ってあげよう!」という言葉ももらえました。旦那が子どもへの気持ちが変わったターニングポイントは名づけだったようです。一生共にする自分の名前。最初にプレゼントできたことが旦那にとってとても嬉しかったようでした。
編集部からコメント
そっけない旦那さんに思い切って名づけをお願いしたEママさんの気持ち、わかる気がします。そしたら、実は携帯にたくさんの名前の候補があって、しかも自分の名前の漢字が使われていたなんて!
赤ちゃんの名前を考えることは、妊娠を体験できないパパにとってはとてもいい機会になることがわかり、幸せな気持ちになりました。
息子の出産予定日は5月3日。平成に生まれるか令和に生まれるか、とてもわくわくして待っていました。旦那が平成元年生まれということもあり、息子も元年に生まれてほしいねと2人で話していて、おなかの赤ちゃんにも令和で会おうねと話しかけていました。順調に妊娠経過し、4月30日午前9時半陣痛が10分間隔になり、昼には入院しました。平成最後の子になるかな…と思っていましたが、陣痛が約一日中続き令和元日の5月1日午前8時27分に生まれました。痛みと戦い、令和になっていたことに気づかず、看護師さんの「令和初の子だね」という言葉で気づかされました。
そんなこともあり、新聞の取材など受けてから新生児室に赤ちゃんを見に行った時窓から満開の桜が見え、とてもきれいで桜って漢字を使いたいなと考えていました。旦那が隣で赤ちゃんの顔を見て、「名前、桜騎はどう?」と聞かれて同じことを考えていたのかなと、とても嬉しかったのを覚えています。私はとても良い名前だと思い、その時「桜騎」と名づけました。令和元日に生まれたこともあり、家族友人、おめでたい子だね、良い名前だねと祝福してもらいました。
編集部からコメント
令和元日の朝に生まれた桜騎くん。生まれながらにして「持ってる男」の風格すら感じます!
平成元年生まれのパパと令和元年生まれの息子。もしかしたら、孫は次の時代の幕開けに出会えるのかも!? 桜騎くんの奇跡をこれからも楽しみにしています。
私が出産した病院は27週にならないと性別を伝えない方針で、次第に大きくなるおなかと共に期待を膨らませていたのを昨日のことのように思い出します。
はじめての子どもだったので性別はどちらでも喜ばしく、夫婦で名づけ本を購入したりネットの姓名判断を利用したりと、とても楽しみにしていました。
しかし27週を過ぎた1回目の健診では性別ではなく逆子なのが判明!
2回目でも直っておらず、3回目で逆子は直っておりホッとしましたが、先生から「あ〜、背中向いちゃってるから見えないや。じらすね〜!性別はまた次回だね」と言われ、ソワソワと次の健診までを過ごしました。
そのころです。
ふと、「女の子だったらハナってかわいいな…」と思いました。
何かがビビッと来た感覚を今でも鮮明に覚えています。
そして4回目にしてようやく女の子と判明!
すでに35週になろうとしていました。
やっとわかった嬉しさと安堵を抱え、その足で近くに住む母へ報告に行きました。
母も喜び、「じゃあいよいよ名前決めなきゃね〜」なんて話から、「何がいいと思う?」と冗談交じりに聞いてみると、しばしの沈黙の後、「ハナちゃんってどう?かわいいよね」と…!
まさに青天の霹靂。
「なんで!?私も考えてたの!」と言うと、「じゃあ決まりだね!漢字はお花の花が優しい印象でいいね」と母は言い、さっそくおなかに「花ちゃ〜ん」と語りかけていました(笑)。
それまで一度も話題に出したことがない名前をほぼ同じタイミングで閃くとは…。
改めて私も母の子なんだと実感した出来事です。
その夜、主人にその話を教えると、「花…、花ちゃん…。うん、かわいい!それにそんな偶然なかなか無いよ。その直感、大事にしよう!」と賛成してくれ、無事に「花」で決定!
もともと主人も私も漢字一文字なので、子どもも一文字を希望、そして2人とも自然が好きなので自然に関する名前がいいねと話していたのでピッタリでした。
「お花のようにかわいらしく、真っ直ぐな子に育ちますように」と願いを込めて…。
5カ月になった我が子は本当に満開の花のような溢れる笑みと純粋無垢な愛嬌で私たちだけでなく、家族みんなを癒し笑顔にしてくれるかけがえのない宝物です。
編集部からコメント
もしかしたら、生まれる前に花ちゃんがママとばあばにテレパシーを送ったのかも! いくら親子とは言え、数ある女の子の名前からこんなにもドンピシャで合うことはないのではないでしょうか。これからも花ちゃんの毎日が満開の花が溢れるような毎日になりますように。
結婚しても子宝に恵まれず、不妊治療を続けてましたが、原因不明と言われ、もう夫婦2人だけの人生かもしれないと思っていたときに来てくれた我が子。
やっとやっと出来た!!幸せいっぱいな毎日でしたが、切迫流産と診断され、他にも妊娠糖尿病も発症。おなかの子にごめんねと謝り、自分を責め続けた毎日でした。そして、とうとう入院することに。入院中に震災にあい、あまり経験できない妊婦生活になりました。
そんな中、性別が男の子とわかり主人と名前を決める日々。候補が何個かありましたが結局、候補の中の名前ではなく、漢字が決め手となりました。主人の名前が「清」で「晴」の字に共通の青が入っていること。私の父の名前に「晴」が入ってること。そして一番は、主人と私の名前が漢字一文字だったということでした。息子の人生が清々しい青空のように晴れ渡ってほしい。優しい子になってほしい。私たちの元に来てくれてありがとうという意味を込めて命名しました。そんな息子も来年はお兄ちゃんになります。今はまだ性別がわかりませんが、また名前を考えるのが楽しみです。
編集部からコメント
つらい不妊治療から、切迫流産・妊娠糖尿病での入院、さらに入院中に震災にあいながらの出産。まずはよく頑張ったママに拍手です。
そして、「晴」というシンプルで清々しい名前に込められた想いに胸打たれました。晴くんも来年にはお兄ちゃん!次の子の名前も楽しみにしています。
「名づけ」という行為は責任重大だと思っています。「名前」は、親が生まれてきてくれた最愛の我が子へ贈る人生最初のプレゼントであり、そうして親がつけた名前は、我が子がこれから先の長い人生を送るとき、常に最も近くに寄り添いながら共に歩む、いわば「相棒」であると思います。
この先の人生、楽しいことばかりではない。辛く苦しいこともあるでしょう。でも、だからこそ、人生とは尊くて素晴らしいものなのだと思います。父親として、息子がこの先の人生で苦難にぶつかったとき、それを乗り越え、自分の信じる道を進む助けとなるような、そんな名前をつけてあげたい、とずっと思っていました。
「人生最後の日に、悔いの残らないように生きる。そのために自分の信じる道をとことん進む」これが私の人生観です。息子にもこの先の人生の一瞬一瞬を大切に、自分らしく、悔いのないように生きて欲しい。そんな願いを込めて「遥斗(はると)」と名づけました。
「遥」は「逍遥自在」という言葉から取りました。「世俗から逃れて自由に楽しむ」という意味です。
かけがえのない一度きりの人生ですから、周りの意見に流されず、誰かに決められた枠に捉われず、自分らしくあり続け、自分の信念に従って、自分のやりたいことに、とことんチャレンジして欲しい。これからの人生を思う存分に生きて欲しい、という願いを込めました。
「斗」は動かない星である「北極星」を探す際の目印となる「北斗七星」から取りました。生きていると、本来自分が大切に持っているはずの、ブレずに、動かずに輝き続ける北極星のような、自分の目標や信念に迷いが生じてしまったり、見失ってしまうことがあります。そんなときに、自分の名前にある、この字に込められた意味を思い出し、自分の目標や信念を再確認するための自信や指針、キッカケになればと思っています。
遥斗、人生とはとっても素晴らしいものだよ。パパとママはいつでも遥斗の味方だからね。キミの笑顔がパパとママの宝物。だから一度きりのキミのこれからの人生を、思う存分、悔いのないように生きなさい!!
編集部からコメント
パパ自身からの熱い投稿が目を引き、授賞となりました!
遥斗くん、君はパパとママという最高の味方を武器に船出したばかり。どんなときもブレずに自分らしくカッコよく生きていってね。
パパは平成生まれの隆"平"、パパの父親は昭和生まれの"和"之、という私たち一家。妊娠したときには、出産予定日が新しい時代に入ってからだとわかっていたので、男の子だったら絶対に年号の一文字を入れようと決めていました。予定日が近づき男の子だとわかり、名前を考えたかったのですが、まだ年号発表前だったので、発表を待ち遠しく感じていました。
いよいよ一族大注目の4月1日。私は職場の全員でテレビ前に待機。「令和」と発表された瞬間から、職場ではおなかの赤ちゃんは、「令和!」と呼ばれるように。令という字の清らかで真っ直ぐで誠実なイメージから、令和の令を使うことにしました。新しい令和の時代を引っ張っていけるような、"真"っ直ぐ自分を持って明るく生きていけるような子になって欲しいと思い、名づけました。優しく優柔不断であまり意見しない夫が、「真は旧字体の"眞"にしたい」ということだけはすごくこだわっていました。眞子さまのおかげで、皇族の気高いイメージがあったからだと思います。ちなみに、令眞の伯父はゆうま、たくま、従兄弟はりゅうま、ということで、"ま"を使いたいというのもありました。おかげで、両親はよくごちゃまぜになってしまっていますが…。生まれて4カ月、新しい時代をたくましく、元気に育ってくれています。この先の未来がとても楽しみです。
編集部からコメント
令和生まれにふさわしい「令」のついた名前が、時代を表しているということで授賞となりました。
「令」「眞」もどちらも古風なイメージのある漢字でありながら、読みが「はるま」という爽やかさから、令眞くんには、古き良きものと新しい風との両方が感じられます。新しい時代をたくましく成長してくださいね。
我が家にはこの子の上に、今年6歳のお兄ちゃんがいます。
陽莉の名前はそのお兄ちゃんがつけました。
生まれる前にいろいろと候補を考えていて「ちか」と「ひかり」の候補に絞って、どちらの名前にしようかと悩んでいました。
お兄ちゃんに「どちらの名前がいいと思う?」と聞いてみたら、「『ひかり』がいい!」と言うので、理由を聞いてみると「ひかりって家の中が明るくなるような名前だから!家の中がピカーって明るくなるよ!」と言うのを聞いて、とてもいいと思い「ひかり」に決まりました。
生まれた陽莉はお兄ちゃんが大好きで、よく目でお兄ちゃんを追っています。
お兄ちゃんもお兄ちゃんで名前をつけたおかげなのか、陽莉がかわいいようでよくお世話をしてくれます。
兄妹仲良くて親としてとても嬉しいです。
編集部からコメント
「家の中がピカーって明るくなるよ!」と言う6歳の男の子らしい言葉がなんとも愛らしく授賞となりました。お兄ちゃんに名づけてもらった陽莉ちゃん。これからもっとお兄ちゃん子になって、2人仲良く大人になってくれると思います。
主人の名前が漢字1文字だったこともあり、子どもにも漢字1文字の名前をつけたいと思っていました。2人で候補をそれぞれ考え、体調が落ち着いたある日、ゆっくり外食をしておいしいごはんを食べたあとに、それぞれがいいと思う名前を発表しあったところ、「りん」という名前が一致しました!
「りん」という名前には、新字の「凛」と旧字の「凜」と2つ漢字があります。旧字には「天からの授かりもの」という意味があり、まさにこの子は天からの神様が授けてくれた大事な大事な授かりものだと思い、この漢字に決めました。
娘が無事に生まれてきてくれて産後の処置のあと、分娩室でお顔を見ているとき自然と私は「凜ちゃん」と呼んでいました。そのとき寝ていた娘が片手をパーにして上に挙げてくれました。まるで「はーい」とお返事をしてくれているように見えました。主人と「凜ちゃんに決定だね!」と笑いあったことはずっと忘れないと思います。早いものでもう5カ月になりました。毎日たくさん笑って泣いて、怒ったような表情も見せたりたくさんの幸せをくれます。これからも娘の笑顔が凜と輝いてくれるように大切に育てていきたいと思います。
編集部からコメント
産後の処置のあとといえば、まだママは出産の疲れでもうろうとしているとき。そんなときに思わず「凜ちゃん」と呼んでしまうなんて、やはり天からのお告げがあったのかも!? そのお告げに手を挙げて応えてくれた凜ちゃん。その姿がどれほどかわいかったかは、パパとママだけの宝物ですね。
夫が名づけました。名字とのバランス、全体の画数からみても最高の字画と完璧な姓名判断。夫は最初からこの名前一択でした。
しかし、私は「蓮」という字はここ数年ランキングにも上位になるほど人気の漢字であることから、周りが同じような名前でかぶるかもしれないことが嫌で、最後まで納得できませんでした。かといって、他に字画的に名字に対して良い名前が思い浮かばずに、そのまま出産を迎えてしまいました。
初産でしたが、4日早く生まれた我が子。周りの妊婦さんはもう既に名前を決められている方が多く、生まれてからすぐ名前で呼ばれている赤ちゃん達をみて我が子が少しかわいそうにもなり自分自身も焦りました…。
退院も間近になったある日。入院中のベッドの中で、ふと夫の決めた「蓮弥」という字を思い浮かべながら、頭の中で呼んでみたり実際に書いてみたりしました。すると、「蓮」の中に「車」という文字を見つけたのです。実は私の夫は車が大好きで、車いじりは趣味の一つでした。男の子が生まれたら一緒にアウトドアに行ったり、車をいじったりして楽しみたいと、男の子を妊娠したことが判明するととても喜んでくれたのを思い出しました。
その事を思い出しながら徐々に「蓮弥」という名前に親近感を持ち始めた私は、「蓮」と「弥」について字の成り立ちや意味を調べてみました。
「蓮」は、字のとおり花のハスを意味します。極楽浄土にも咲く神聖な花。さらに蓮の花は、泥の中で成長しますが茎はスッと伸びて青々と葉を広げ、花は泥汚れひとつなく紅一点に綺麗な花を咲かせます。「弥」は隅々まで広く行き渡るという意味。
それを見て息子には「逆境に負けないような人生を歩んでほしい。周りの人たちを笑顔にしてくれる、それでいて人の心をハッとさせるような立派な人に育ってほしい」と願うようになりました。
今では「蓮ちゃん、蓮ちゃん」と、家族みんなのアイドルです。夫に聞いたところ、考えた名前に車は一切関係ないと否定されましたが、私には夫が物凄く考えてつけてくれたのかな?と、とっても親近感が湧いています。入院中、一人で夫の想いを考えながら名前の中にメッセージを見つけた瞬間、なるほど~と思うと同時に夫や我が子が愛らしく、家族になれて良かったと幸せを噛み締めたことは一生忘れません。
編集部からコメント
名づけを通じて、パパと蓮弥くんと家族になれた気持ちがするというひまたんさん。その幸せな気持ちがじんわりと伝わってきました。
そして、たとえ同じ名前の子どもがいても、どれ1つとして同じエピソードはありません。たった1人の蓮弥くんのエピソードの投稿、ありがとうございました!
編集部からコメント
1年後に戻ってきてくれた愛しの赤ちゃん。まさに星降る夜に舞い降りてきてくれた織姫様のようですね。突然の流産と、心身共につらかった妊活を乗り越え、まおままさんのところに来てくれた舞織ちゃん。
この映画のような素敵なエピソードに編集部からも「ぜひ、大賞を!」との声がたくさんあがりました。2020年の7月7日には、1歳になった舞織ちゃんと一緒にお空の織姫様を見てくださいね。